Update: 1999/1/1
コンピュータと通信は、今や切っても切り離せない存在となっている。しかし、ほんの少し前まで私達の通信手段は郵便と電話しかない時代だった。この10年間で技術は急速に進化し、私達のライフスタイルまで変えてしまった。そこで、今回は私のパソコン通信とインターネットとの出会いについて書いてみよう。
日本でパソコン通信が登場したのは、1980年代の中頃だった。当初は実験サービスとして開始されたが、80年代後半になるとASCII-Net(現在消滅), PC-VAN(現在Biglobe), NIFTY-Serve(現在NIFTY SERVE)といった商用サービスが相次いで開始された。
そんな中、私がパソコン通信を始めるきっかけになったのは、マジック情報誌「不思議」18号(1989.6.6)を手にした時だった。ここには、松山光伸さん(慶應義塾奇術愛好会OB)が「パソコン通信でマジック」というタイトルでNIFTY-Serve内に創設したマジックフォーラム(FMAGIC)について紹介されていた。
日本全国には、マジックのクラブがたくさんある。アマチュアでも特に大学のクラブは長い歴史を持ち、多くのOBを抱えている。しかし、社会人になるとマジックとは無縁の生活をおくる人が大半である。一つの理由は、マジックへの興味を失ってしまうことであるが、もう一つの理由は、興味はあってもライフスタイルの違いから、お互いに共通な時間を作るのが難しいことである。
このような状況を背景にして、この「パソコン通信によって運営されるマジッククラブ」というコンセプトは見事に全国の奇術愛好家のニーズにマッチした。私も早速、NIFTY-Serveに入会し、マジックフォーラムに参加することになった。1989年8月上旬のことだった。当時会員は300名ほどだったが、全国各地から幅広い奇術愛好者が参加していた。特に嬉しかったのは、関東以外の人達との出会いだった。これは、パソコン通信というメディアが存在しなかったら、一生出会うことのない人達だったに違いない。
以後、NIFTY SERVEは、日本最大のパソコン通信サービス事業者へと発展し、会員数は266万人(1998年11月末現在) へと成長を遂げた。マジックフォーラムの会員数も現在では3000人を超えている。
インターネットが日本で騒がれたのは、1996年のことである。マイクロソフトのWindows 95が前年12月に日本で発売されたのがきっかけである。インターネット自体の歴史は古く、1969年にアメリカ国防総省が作ったARPA NETまでさかのぼるが、世の中に普及し始めたのは、1993年のWorld Wide Web(WWW)とWebブラウザ(Mosaic)の登場からだろう。
私も、仕事柄インターネットに接する機会が早かったが、それでも初めてWebブラウザの画面を見たのは、1994年9月頃だったと記憶している。当時、まだホームページの数は少なかったが、アメリカホワイトハウスのページから大統領にメールが出せたり、ピザハットのページから出前配達を頼めたり、英ケンブリッジ大学のある研究室内のコーヒーメーカー(http://www.cl.cam.ac.uk/coffee/coffee.html)の様子を眺めたり、といったことがコンピュータ画面から容易にできるさまは衝撃的な出来事だった。
その後、ほんの数年のうちに、全世界でさまざまなホームページが出現し、世の中の状況は一変してしまった。調べたいことがあれば、従来は情報源を探り当てるのにかなり苦労したものだが、今はインターネット上の検索で、たいていの情報は入手することが出来る。
しかし、何と言ってもインターネットの革新性は、個人が容易に情報発信することが出来るようになったことだろう。マジックの世界でも、プロ・アマを問わず、世界中の多くのマジシャンがホームページを立ち上げ始めた。私も、ちょうど1年前、自分のホームページ「スティングのマジック玉手箱」を開設した。仕事の合間をぬって、内容を更新していくのは、大変な作業だが、マイペースでコンテンツを創っていきたいと思う。
インターネットの世界も、初期の頃の文字と静止画中心のコンテンツから、アニメーション・サウンド・動画といったマルチメディア情報を自由に扱える時代に進化しつつある。今年は、私のホームページも動画情報の拡張を計画している。ネットワーク帯域幅の狭さや蓄積容量の多さなど、まだまだ課題を残しているが、最新技術を駆使してチャレンジしたいと考えている。
1999.1.1 中村 安夫
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Update: 1999/1/1