Update: 1998/1/17
ミリオンさん、こんにちは。
>以前(と言っても随分前ですが)フレッド カップスがPCAMの大会で非常に
>印象的な奇術を見せてくれました.
おぉ、ミリオンさんもPCAM東京大会のフレッド・カップスの演技をご覧になっていましたか。
とにかく、あの時のカップスの演技は凄かったですね。
私にとって、スティ−ルを完璧にこなすステ−ジマジシャンを生で初めて見たという印象でした。
ああ、これが世界のトップマジシャンのステ−ジなのかと、大きなショックを受けたことを覚えています。
その後、たくさんのマジシャンのステ−ジを見てきましたが、未だ彼を越える演技はなかったように思います。
何度か来日し、私の好きなマジシャンの一人でもあるリチャ−ド・ロスの演技もカップスの演技と比較してしまうと、どこか見劣りがしてしまいます。
そんなわけで、フレッド・カップスのステ−ジは私にとって永遠の理想像なのです。
1992.3.29 スティング(MHB01374)
こんばんは! ミリオンさん。
昨日の東京オフは、なんとか参加したかったのですが、都合がつかず残念でした。
さて、PCAM東京大会のお話、とてもなつかしく読んでいます。(^_^)
>彼にサインをもらったデックは私の宝物のひとつです.
うわ〜、うらやましい。
>彼のマジックでいまだに不思議なのは,会場の廊下で見せてくれたコインマジック
>です.
残念ながら、私はこのマジックを見逃しましたが、とてもうなずけます。
フレッド・カップスの演技の特徴的な点は、スティ−ルとパスとバニッシュの絶妙なコンビネ−ションにあると、私は思っています。
個々のテクニックの正確さに加えて、これらが自然な動作の中で行なわれるために、
私たちは、まるで奇跡としか思えないようなシ−ンを目撃することになります。
この時のステ−ジで、特に印象に残っているのは、次のような演技でした。
当時、私はまだ大学を卒業したてで、少しマジックを甘くみていた頃でしたが、
彼の演技を見て、あらためてマジックの新鮮な驚きを体験したのでした。
1992.4.5 スティング(MHB01374)
P.S. この大会のコンテストでは、若き日のトランプマンこと星野徹義さんが
チャレンジして入賞したのを思い出しました。
ミリオンさん、またまた、こんばんは。
それにしても、驚きました。
ミリオンさんが、あのPCAM東京大会のコンテストにチャレンジしていたとは。
今、当時のパンフレットを引っ張り出して、見ているんですが、凄い顔触れですよ。
広瀬良雄、平田治民、黒崎俊雅、星野徹義、中島要、大西敏夫、真田豊実、ほか
36名のチャレンジャ−の名前がリストアップされています。
>P.S. この大会のコンテストでは,若き日のミリオンこと○○ ○が
> チャレンジして恥をかいたのを思いだしました(T.T).
このヒントから、推測すると、ミリオンさんは
田代 茂、高橋 淳、中島 要、緒方 新、古川 令のいずれかのお名前である
ことになりますね。
あらためて、私はパソコン通信、そして、このマジックフォ−ラムの恩恵に感謝したいと思います。
10数年前、あるマジックコンベンションで、お互い全く気付くことなく、すれ違った2人が、こうして今、ネットワ−ク上で再会したのですから。
話を再び、フレッド・カップスの演技論に戻しましょう。
前回、私はカップスの演技の秘密は、”鋼鉄”と”定期券”と”アランドロン”の絶妙なコンビネ−ションにあると書きました。(^_^;)
私も後でビデオを見て、解ったのですが、彼が物を出現させる場合、”鋼鉄”の後すぐ、出現させることは、ほとんどなく、必ず”定期券”を使って、両手をなにげなく改めた後に、プロダクションを行なっていることに気付きました。
これを客席から見ると、完全に両手が空の状態から、突然、物が出現するという信じられない現象になるわけです。
彼のこのハンドリングに気付いた時、私はあらためてカップスの偉大さに感動しました。
>だれもが知っているような方法でも,完璧にやれば凄い奇術になるのだということ
>とを彼に教えられました.
ミリオンさんのこのコメントは、全く同感です。
”アランドロン”については、翌日の彼のレクチャ−により、プロマジシャンの秘密兵器である”トピ*ト”の存在を初めて知りました。
まだまだ続く、フレッド・カップスの思い出.....
1992.4.6 スティング(MHB01374)
P.S.隠語が多くて、読みにくかったみなさん、すみません。(^_^;)
ミリオンさん、こんにちは。
>> このヒントから、推測すると、ミリオンさんは
>> 田代 茂、高橋 淳、中島 要、緒方 新、古川 令のいずれかのお名前であ
>> ることになりますね。
>うーん.あるある.ちなみに私のすぐ後に出場して賞を取のが,Marvinです.
はい、分かりました。(^_^)
さて、今回はカップスと音響効果について、書いてみます。
私はカップスの生ステ−ジを2度、見たことがありますが、いづれも生バンドを使っていました。
クライマックスのソルトゴ−の時、一瞬、音が止まる場面があるのを覚えていますか。
このとき、彼はバンドの方を向き、クレ−ムをいう仕草を入れています。さらに、テンポがスロ−なので、まきを入れる動作が入ります。
私の隣にいた年配の人が、これを見ていてしきりに怒っていました。
「しょうがないな、今日のバンドはなにやってるんだ!」
観客が、こんな勘違いをするほど、彼の演技は真に迫っていたと言えるでしょう。
1992.4.11 スティング(MHB01374)
こんにちは! スティングです。
これまで、PCAM東京大会でのフレッド・カップスについて、いろいろお話してきましたが、これは1976年8月のことでした。
もう彼の演技を見るチャンスはないと思っていたのですが、思いがけずにその3年後、
再び彼のステ−ジを見る機会が到来しました。
1979年12月にNET(現在のテレビ朝日)が「世界魔術大賞」というマジック番組を企画したのです。(放映は1980年1月3日)
出演者の顔触れを見て驚きました。そこには、カップスと並んでチャニング・ポロックの名前があるではありませんか。
ポロックといえば、映画「ヨ−ロッパの夜」での鳩出しの演技があまりにも有名です。当時、高鳴る胸を押えて、急いで参加の申し込みをしたことを覚えています。しかし、期待に反して、このマジックコンベンションは、不評でした。
まず、お目当てのポロックは会場に顔を見せたものの、全くマジックをやりませんでした。また、カップスのステ−ジもひどく精彩のないものでした。3年前のステ−ジが、あまりにも素晴らしかったので、これがカップスなのかと目を疑るほどでした。演技にキレがないのです。またテンポや間合いが、なぜか心地よくありません。
私の気のせいなのかなと思って、ほかの人に感想を尋ねると、みな良くなかったと言います。
スライハンドの世界第一人者のフレッド・カップスも、いよいよ力が衰えたかと思うと、とても寂しい気がしたものです。
後で分かったのですが、この時彼は不治の病、ガンに侵されていて、体調がかなり悪かったのでしょう。
この半年後の1980年8月に、私たちは彼の悲報を聞くことになります。
思えば、全盛期のフレッド・カップスのステ−ジを見ることが出来た私はとても幸運だったのかも知れません。
ミリオンさんのカップスの演技に関するお話に刺激されて、当時の感動が再び蘇りました。どうもありがとう、ミリオンさん。(^_^)
さて、思い出話が少し長くなってしまったようです。そろそろ、この辺で幕を降ろすことにしましょう。
1992.4.12 スティング(MHB01374)
Copyright © 1998 Yasuo Nakamura. All rights reserved.
Update: 1998/1/17