Update: 2001/9/21
次にご紹介するのは、プロマジシャン、ボナ植木師のご意見です。氏は、F版アワー「手品師の裏側」で、数々のエッセイを発表されていますが、「No.41 : 私が覆面マジシャンと戦わない理由〜今回はマジメな話だ (2001/07/20)」において、種明かしに関する見解を掲載されました。ボナ植木師に、このコーナーでの転載許可のお願いをしたところ、快諾されました。
以下に、全文を転載させていただきます。
これが私の生きる道 This is my way. 覆面マジシャンをご存知でしょうか? 先日、日本テレビの特番で放送されたから、ご存知の方も多いことでしょう。 彼はアメリカのFoxテレビでマジックの種明かし番組を放送して、マジシャン達と問題になった人物です。 それのスペシャルが日本で放送されたのです。 今、日本の奇術界はこの話でもちきりです。 (マスクドマジシャンか覆面マジシャンで検索するとでますよ:筆者) 子供の頃みた「ベン・ハー」だったか「イエス・キリストの生涯」だったか忘れましたけど、今でもその映画の中でのシーンを覚えています。 民衆が、不倫をした女性に石をぶつけていると、そこにキリストがきて、「彼女は罪を犯した、だから石をぶつけられてもいた仕方ない、でも、みんなの中で、いままで罪を犯したことのない人だけが、彼女に石をぶつけなさい」 というと、民衆は誰一人石をぶつけずにその場を立ち去っていきました。 覆面マジシャンのした事を、私は認めるわけにはいきません。 しかし残念ながら、私も一般人に「種明かし」をしてきました。 今も「マジック王国」というテレビで毎週、「種明かし」をしています。 ですから、私自身が、彼を糾弾したりすることはできないと考えます。 もし、マジシャンで覆面マジシャンに憤りをもっている人がいるなら、いままでどんなマジックでも、一般人に種明かしをしたことのない人だけが、クレームをつけたり、糾弾する権利を持つものだと思います。 最近種明かしをしているマリックさんに対しても、私はクレームをつけたことはありません。確かに、売りネタや人のネタをばらしていて、憤りはありますが、さっきもいったように、私には、その権利がありませんし、立場もありません。 「種明かし」にあれならいいとかこれならいいとかは、絶対に存在しないのです。マジックのタネは明かしてはいけないのは大前提です。 私がそれをするのは、いろいろな理由があるからです。 しかしそれをどんなに論理的にいったとしても、それは、私だけの都合の理由で、誰をも納得させることはできませんし、まして「種明かしをしてはいけない」という大前提を覆すような理由は存在しません。 ですから私に対しても、覆面マジシャンに対しても、クレームをつけられる人、つまり、石を投げられることのできる人は、マジシャンとして、いままで罪(種明かし)を一度たりとも犯したことがない人に限る、と思うのです。 くどいようですが、どんなマジックでも種明かしは御法度です。 それが「簡単な小手先」のものだろうが、「胴切り」だろうが、だめなものはだめです。 例え一人に対してでも、数十人に対してでも、あるいはテレビを通して何万人に対しても、種明かしは種明かしです。五十歩百歩です。 あれならいい、ここまでならいいという設定はできないのです!ダメなものはダメです。 でも種明かしする人は、その人個人に、理由があるからするのです。 覆面マジシャンは「マジックの発展のため」といいますが、それは彼の中での動機です。「お金の為」もあるでしょう。他人には「詭弁」でしょう。でも彼にとってはそれは「真理」であり、そうさせた「動機」に、偽りはないのです。 しかし、 彼には石をぶつけてもいいでしょう。 しかし、 私には石を投げる権利がありません。 以前、マリックさんは超能力者ではなく単なるマジシャンだというので、私は種明かしを雑誌でしました。 その時、色々なたくさんの人からクレームをいただきました。 でも、今でも思うのです。その時、「石」を投げた人は、その権利があって投げた人たちなのでしょうか? 本当にその人たちにその権利があったのでしょうか? もし、その場にキリスト様がいたら、笑ってそれを見ていたことでしょうね。そして私に「石」を持たせ、こういうかもしれません。 「これを自分に投げるか、相手に投げ返すか、考えなさい」と。 でも私の答えは、ひとつ。 「自分は罪を犯しているから、自分にも相手にも、石は投げられない」 私はたくさんの「石」の雨の中、 ただ、 その手の中にある「石」を 地面に置くだけです。 もちろん、演技で失敗して、タネがばれてもそれは、種明かしと「同罪」といわざるを得ません。 ですから、命がけで練習し、失敗があっては絶対(!)、ならないのです。中途半端で舞台にかけてはいけないのです! 先日、知り合いの人にあったら、こんなことをいってました。 「いやー、この間、寄席でXXというマジシャンみて、やっとわかったよ、あの輪っかがつながるマジックのタネ! いままでわかんなかったのになあ」 リンキングリングという金属の輪がつながるクラシックマジックです。タネがシンプルなため、上手いマジシャンにかかれば魔法ですが、下手な人にかかるとばれてしまいます。そのマジシャンの名前をきいているから、やい!XX!夜道は気をつけるんだな! へたや失敗での種明かしは、それは「個人的な理由」があってする種明かしと、まったく「同罪」といってもいいくらいです。 同じタネがばれても「演技の失敗なら仕方がない」では通りません。 ならば、失敗に名をかりて、種明かしをするマジシャンがでてきても、誰も止められないでしょう。 とにかく、「種明かし」をしてはいけないのです。 ただ、私には自分の中で様々な理由があり、自分で納得してやっているのです。 例えば、 「親しいテレビ局の人に頼まれるから」 「視聴率をとれるから」 「マジックに興味をもってほしいから」 「マジックは物理、心理を応用したすばらしい芸能とわかってもらうため」 「人間はいかにだまされやすく、弱い動物かを認識してもらうため」 「仕事、つまりギャラをもらえるから」 「見た人で喜ぶ人が多いから」 「笑ってくれるから(ひっかかった観客自身をみずから)」 「子供に受けるから」 「美女に頼まれたら」 ね? どれをとっても「種明かしをしてはいけない」を覆せるものは、ひとつもないでしょ? しかし、だたひとつ考えなければならないことは、「思いやり」です。 そんな生半可な! と思いでしょうが、 私のマジックの演技の中で大事な要素は「思いやり」です。 手順の複雑なのは、観客にとって「思いやり」にかけます。 お客さんを舞台にあげるなら、手をとってあげるくらいの「思いやり」が必要です。 お客さんをバカにするセリフは「思いやり」にかけます。 なが〜い、演技はお客にとって「思いやり」にかけます。 これを自分の「種明かし」にあててみると、 ★このマジックを「種明かし」したら、観客は喜ぶどころか、落胆するだろうな、ならこれはやめようと「思いやり理論」から判断します。 ★また、人の考えたオリジナルなマジックを明かしたら、その人が「気分を悪くするだろうな」と「思いやる」ことは当然です。 ★マリックさんの時は、マリックさんを「思いやる」より超能力者と勘違いしてあやまった道に行こうとしていたたくさんの人を「思いやった」のです。 このように、自分にとっての「種明かし」の理由は様々ありますが、いずれにしても、それは「種明かしをしてはいけない」をひっくり返すことは出来ないのです。 私は、子供の頃テレビで見たマジックの種明かしで、マジックに興味を持った人間です。柳沢よしたねさんやアダチ龍光師匠、高木重郎先生、初代引田天功先生などの種明かしを喜んで見ていたものです。 それでプロのマジシャンになったようなものです。 「なんだよ、それでまた種明かしをしたんじゃしょうがないじゃん! 確信犯か?」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。 でも「種明かしをしている」ということを差し引いても、私は、日本だけでなく世界のマジック界にも大きく貢献していると、 自ら、誇りをもって、 そして 胸をはって言えます! それが私のマジシャンとしての生き方です。 |
出典:F版アワー「手品師の裏側」No.41 : 私が覆面マジシャンと戦わない理由〜今回はマジメな話だ (2001/07/20)
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Update: 2001/9/21